日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月20日
東郷外務大臣、野村・来栖両大使に対し、「乙案」の提示を訓令
資料1:B02030722700 15 昭和16年11月19日から昭和16年11月20日(8画像〜10画像右)
「昭和16年11月19日東郷大臣発在米野村大使宛公電第七九八号(館長符号)(原議)」
画像資料
 昭和16年(1941年)11月20日、前日の電報によって野村駐アメリカ大使に次の訓令を待つよう指示していた東郷外務大臣は、この日の午前0時30分、「乙案」の提示を指示する電報を野村宛に発しました。
 資料1は、この電報の全文です。ここで東郷は、前日に野村より送られた指摘及び提案(昭和16年11月18日野村発東郷宛電報第一一三四号、一一三四号ノ二による:11月19日の野村・ハル会談についての資料解説を参照)に対し、「貴大使カ当方ト事前ノ打合セナク貴電報腹案ヲ提示セラレタルハ国内ノ機微ナル事情ニ顧ミ遺憾トスル所ニシテ却テ交渉ノ遷延乃至不成立ニ導クモノト云フ外ハナシ」と述べて野村の姿勢に対して強い批判姿勢を示し、その提案を拒否する旨を説明しています。そして、「次回ノ会見ニ於テ乙案御提示相成度 尚右ハ帝国政府ノ最終案ニシテ絶対ニ此上譲歩ノ余地無ク右ニテ米側ノ応諾ヲ得サル限リ交渉決裂スルモ致方ナキ次第ニ付右篤ト御含ミノ上万善ノ御努力ヲ払ハレ度シ」と述べ、「乙案」の日本側最終案としての意味合いを強調しつつ、その提示を命じています。
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