日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)10月28日
第63回大本営政府連絡会議(議題:国策遂行要領再検討)
資料1:昭和十六年十月二十八日(火)第六十三回連絡会議 再検討ニ関スル件(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)93画像左〜96画像右)
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資料2:昭和16年10月28日(『機密戦争日誌 其三』186画像左〜188画像右)
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 昭和16年(1941年)10月28日、大本営政府連絡会議が開かれ、前日に引き続き、国策遂行要領の再検討が行われました。
 資料1は、その会議録です。この資料によれば、この会議では昭和17年(1942年)3月に開戦することとした場合、どのような状況となるかについて検討が行なわれました。まず、対外関係については、現在よりも良くなるかも知れないと結論をだしています。人造石油については、鈴木企画院総裁が、巨額の費用と大量の物資を必要とするので、非常手段を必要とし、4年後の昭和19年度(1944年度)に400万トンを生産する目標ではあるが、計画には非常な困難がある、と説明しています。また、これについて海軍整備局長(原文ママ)は、この計画を行うと海軍の軍備は計画の半分しか行えなず、また、必要な石油は人造石油のみで解決するものではない、と発言しています。これらの議論に対し、賀屋興宣大蔵大臣が、戦争を行なった場合と行なわない場合のどちらが物資の需給関係に対し良い影響をあたえるのか、具体的な数字が知りたい、また、南方に進出して必要な物資を軍に確保してもらった場合、物的に陸海軍の戦力を支えることができるのかどうかが問題であり、「概念論テハナク大体此辺トノ判定ヲシ度イ」と要望しています。
 資料2は、『機密戦争日誌』のこの会議に関する記述です。ここには、賀屋大蔵大臣の質問が多く、また東条総理がリーダーシップをとらないために、議事の進行が遅れている、と記されています。また、杉山参謀総長、塚田参謀次長に対しては、「次長、総長老躯ヲ駆ツテ奮闘シアルハ感謝ニ耐ヘス」、と感謝の意を示しています。
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