日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)10月9日
第58回大本営政府連絡会議(議題:米側回答に対する帝国の態度)
資料1:十月九日第五十八回連絡会議 米側回答ニ対スル帝国ノ態度ニ関スル件(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)63画像〜66画像右)
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資料2:昭和16年10月5日〜昭和16年10月9日(『機密戦争日誌 其三』156画像〜163画像右)
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 昭和16年(1941年)10月9日、午後4時頃より、第58回大本営政府連絡会議が開催されました。
 資料1の会議録によれば、4日にアメリカより通達された、日米首脳会談の提案に対する回答への対処についての議論が行なわれましたが、何も結論が出ないままに終わったとされています。ここで豊田外務大臣は、アメリカの回答中の不明確な箇所3点について質問するよう野村駐アメリカ大使に促したところ、米時間9日午前9時(日本時間9日午後9時)に予定している会談にてハル米国務長官より回答を受け取ることになっているとのことなので、それを待って相談したいと述べています。これに対し杉山参謀総長は、交渉の成否に見切りをつける目安としていた10月15日を越えないよう「此ノ期日ノ範囲内ニテ話ヲ進メルナレハ成ルヘク早クヤツテモライ度イ」と発言しています。また、永野軍令部総長は、
 1.交渉ヲ延ハサレルト作戦上困ル
 2.交渉ヤルナラハ必成ノ信念テヤレ。途中テ行キヅマリ自分ニ持ツテ来テモ受ケラレヌ。今後此ノ
   信念ナク試射ヲヤルコトハ今日ノ場合ニアラス
との手記を読み上げようとしたが及川海軍大臣に止められたため、会議後に豊田大臣にこれを見せたところ、豊田はこれに頷いていたと記されています。
 資料2の『機密戦争日誌』における一連の記述では、10月4日の前回連絡会議以降、陸軍上層部では日米交渉に見切りをつけ開戦を決意すべきであるという意見がまとめられ、これに海軍の同調を得ようと取り組んでいたこと、その一方で、及川海軍大臣が10月15日という期限を延長することも視野に入れていたことなどが述べられています。
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