日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)10月4日
第57回大本営政府連絡会議(議題:米側回答に対する帝国の態度)
資料1:十月四日第五十七回連絡会議 米側回答ニ対スル帝国ノ態度ニ関スル件(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)61画像〜62画像)
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資料2:昭和16年10月4日(『機密戦争日誌 其三』155画像)
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 昭和16年(1941年)10月4日、午後3時より、第57回大本営政府連絡会議が開催されました。
 資料1の会議録によれば、冒頭に豊田外務大臣が「本日ハ重大ナル国策故、幹事ヲ経ス直接主要大臣並両総長ニ御参集ヲ願ヒ会談スル次第ナリ」と述べている通り、通常の連絡会議の構成員から内務大臣、企画院総裁、内閣書記官長、陸海軍軍務局長を除いたメンバーで会議が行なわれました。議題は、日米首脳会談開催の提案についてのアメリカからの回答(同日着電)にどのように対処するか、ということでした。この回答について、寺崎太郎外務省アメリカ局長は、「米国ハ日本カ原則的ニハ同意セリト考ヘアリシ所其ノ適用ニハ種々考ヘカアル如キヲ以テ両首脳者ノ会見ハ如何カト思フ」との意味だと説明しています。これに対し、東条陸軍大臣は日米交渉に見極めをつけるべきであると述べ、杉山参謀総長も同意しています。これを受けて永野軍令部総長が議論の打ち切りを主張した結果、この時点ではアメリカに対する明確な反応は決定せず、対処については早急に検討を進めようという同意に至っています。
 資料2の『機密戦争日誌』でもこの連絡会議については同様の説明がなされていますが、この日の朝のうちにアメリカ駐在武官よりアメリカの回答についての情報を受け取っており、「成立ノ目途ナシト云フニ在リ」との要旨であると既に把握していたことも記されています。
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