日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)9月23日
野村大使・ハル米国務長官会談(日支和平問題、三国同盟について)
資料1:B02030719300 15 昭和16年9月23日から昭和16年9月25日(1画像〜3画像)
「昭和16年9月23日野村大使発豊田外務大臣宛公電第八四二号(極秘、館長符号)」
画像資料
 昭和16年(1941年)9月23日午前9時(米時間)、野村駐アメリカ大使はハル米国務大臣を訪問し、会談を行ないました。
 資料1は、野村から豊田外務大臣に宛てられた、会談の報告です。これによれば、冒頭に野村は日中の和平条件を手交した上でハルに対し、日本側はすでに言うべきことは言い尽くしていること、グルー駐日大使にもこれ以上言うべきことはないこと、4日の東京における提案はアメリカ側原案を狭めるものではなく拡大することなどを説明し、日本政府が日米首脳会談の速やかな実現を心から希望する旨を伝えたとあります。これに対しハルは、日本側で世論を指導してほしいと述べているがその点はどうなったかと問い、野村は政府が対策をしており事態は改善しつつあると応答しています。またハルから野村個人の意見について質問があり、野村が日独伊三国同盟は日米国交調整と両立するものと考えており、日米首脳会談が太平洋の平和を強固にするだろうと返答したとあります。さらにハルが世界情勢に言及し、自分としては、日米は世界で「リーダーシップ」を発揮する絶好の機会を有するが両国がこの機会に対処しうるかどうかについては疑問であると表明したとあります。最後に、このハルの発言を受けて、野村が両国首脳会談の必要性を訴え会談が終わったと記述されています。
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