昭和16年(1941年)9月20日
野村大使・ハル米国務長官会談
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資料1:B02030719200 14 昭和16年9月20日から昭和16年9月24日(1画像〜4画像)
「昭和16年9月20日野村大使発豊田外務大臣宛公電第八三八号(極秘、館長符号)」
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昭和16年(1941年)9月19日午後9時(米時間)、野村駐アメリカ大使は9日ぶりにハル米国務長官を訪問し、会談を行ないました。
資料1は、野村から豊田外務大臣に宛てられた、会談の報告です。野村は、ハルに9月4日の日本側提案(6日手交)に対する彼の意見を聞いたが、あまり内容ある返事を得られなかったが、ただハルの発言中に、最近グルー米駐日大使より日本政府がアメリカ政府に受け入れられやすい提案を一両日に出すという内容の電報があって今晩その回答が出るかと期待していたという内容があったと述べています。また、日独伊三国同盟の解釈問題に関するアメリカ側の提案は未だ立っていないというハルの回答を伝えています。そして、ハルの発言内容を整理しています。野村によれば、ハルは交渉を長引かせずなるべく速やかに妥結に持ち込みたいのはアメリカも同じであるということを述べました。次に、アメリカは平和を謳いながら武力を用いる政策に反対であり、日本が平和政策に変わることは日本のためにも利益があるという従来の主張を繰り返し、東洋の平和には強い日本の存在が必要であり、日本が完全な平和政策を採用すれば日米問題は一夜のうちに解決すると述べています。続いて、ハルは日本の世論について、ドイツと一緒になって戦争を望む者より平和を望む者が多いだろうということを確認しています。またハルは、首脳会談を日米両国に限ることを了解し、アメリカとしては太平洋に利害がある諸国に連絡を保つ必要があると述べています。最後に、野村はこの対談の感想として、アメリカ側が日本に懐疑的であることは覆いがたい事実であり、日本がアメリカを宥めつつ武力政策になるのではないかとアメリカ側に疑われているようだとしています。
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