日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)9月12日
豊田外務大臣、野村大使に対し、グルー駐日アメリカ大使より手交された質問書を通知
資料1:B02030719100 13 昭和16年9月16日から昭和16年9月19日(23画像左)
「昭和16年9月12日豊田外務大臣発野村大使宛公電第五五六号(館長符号)」
画像資料
 昭和16年(1941年)9月12日、豊田外務大臣は野村駐アメリカ大使に対し、10日夜にグルー米駐日大使から手交されたアメリカ側覚書に関する通知を行ないました。
 資料1は、豊田から野村に宛てられた電報です。これによれば、豊田は野村に対して、グルーから手交された覚書は厳格なる意味での公文書ではないので、特に申し添えたいと通知しています。合わせて、この覚書についてはこちらで調査中なので野村の方でその「ステップ」(手順)をとる必要はないと述べています。
 資料2は、資料1の別電として送られた、グルーから豊田に示されたアメリカ側覚書です。英文原文、日本語訳全文タイプ版、日本語訳全文下書きの順で収録されています。これによれば、グルーは、9月6日に野村からハルに通達された提案については目下政府で検討中であると述べています(9月10日の「豊田外務大臣、野村大使に対し、大使の対米提案の事実について問い合わせ」の解説文を合わせてご参照ください)。また、6日の提案中、中国におけるアメリカの経済的活動に関する(ホ)の規定(支那ニ於ケル合衆国ノ経済的活動ハ公正ナル基礎ニ於テ行ハルル限リ制限セラレサルヘシ)にある「公正ナル基礎」という語の正確な意味について、何が「公正ナル基礎」を決定するのか、日本国が唯一の「公正」の判定者なのかどうかと質問しています。
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