昭和16年(1941年)9月11日
野村大使、本国に対し、中国駐留部隊の撤兵及び防共駐兵問題について意見具申
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資料1:B02030744200 5 昭和16年9月4日から昭和16年9月11日(54画像〜57画像)
「昭和16年9月11日野村大使発豊田外務大臣宛公電第八一〇号(写)」
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昭和16年(1941年)9月11日、野村駐アメリカ大使は本国に対し、中国駐留部隊の撤兵及び防共駐兵問題について意見具申を行ないました。
資料1は、野村から豊田外務大臣に宛てられた、意見具申の電報です。これによれば、野村は中国からの撤兵問題について、アメリカ側としては日本と「南京政府」(汪兆銘政権)との協定に対して、国内世論・「支那側」(重慶国民政府側)に対する義理からして賛成できないと思われるとし、6月21日のアメリカ側提案に平和回復後2年以内の完全なる撤兵が要求されていることに触れ、アメリカの態度硬化を指摘しています。また、硬化の原因として重慶国民政府との話し合いがあるのではないかと推測しており、撤兵問題が原因で日米交渉が暗礁に乗り上げる可能性を示唆しています。そして、打開案として、アメリカの希望に沿って、駐兵に触れることなく平和回復後2年以内の撤兵に折り合いをつけることを政府で検討してほしいと依頼しています。なお、野村は日中の講和会議は長期に及ぶことを見込んでおり、たとえ今2年以内の撤兵を約束したとしても会議中に国際情勢が変化して、駐兵期間の延長に関する話し合いになるかもしれないという見込みを述べています。この見込みをもって、野村は、撤兵の容認に関しては日本の国策に背馳する結果を招くとも考えられないものの、国内問題としては真に難しい問題であることは推察に余りあるが、至急の問題なので回答の訓令を切望するとしています。また、「防共駐兵」の条項について、野村は、撤兵問題に関連して削除されるべきだが、日中の非軍事的協力に関しては置いておくのも可であるという意見を述べています。最後に野村は、『日本新聞』が日米協定が近くに締結されるのではないかという「楽観的放送」を行なったことに触れて、撤兵問題などの困難な問題があり、楽観視は妥当ではないと意見し、新聞方面への指導を依頼しています。
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