日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)8月9日
野村大使・ハル米国務長官会談、8月6日の日本側回答に対する回答について
資料1:B02030716200 3 昭和16年8月7日から昭和16年8月8日(4画像〜6右画像)
「昭和16年8月8日野村大使発豊田外務大臣宛公電第六七一号(至急)(外機密、館長符号)」
画像資料
資料2:B02030716200 3 昭和16年8月7日から昭和16年8月8日(6画像左〜11画像)
「昭和16年8月8日野村大使発豊田外務大臣宛公電第六七二号ノ一(外機密、特扱、至急、館長符号)(写)」
「昭和16年8月8日野村大使発豊田外務大臣宛公電第六七二号ノ二(至急、館長符号)(写)」
「昭和16年8月8日野村大使発豊田外務大臣宛公電第六七二号ノ三(至急、館長符号)(写)」
「1941年8月8日 米側回答訳(仮訳)」
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 昭和16年(1941年)8月9日、野村駐アメリカ大使とハル米国務長官のあいだで会談が行なわれました。この会談において、ハルは野村に対し、8月6日に日本側から手交された回答に対する更なる回答を手交しました。
 資料1は、野村による会談の報告電報です。野村は、この回答について、アメリカ側が「一歩モ譲歩」していないことを報告しています。
 資料2はアメリカ側のこうした姿勢を示す、回答の原文と日本語訳です。アメリカ政府は、8月6日付の日本政府の回答が、米大統領の仏領インドシナを「中立化」させる提案への答えになっていない「不充分」なものである、と受け止めていました。また、この会談で野村は、日米首脳会談を提起しましたが、アメリカ側は日本が武力行使をやめることによってはじめて話し合いを行なう姿勢であり、日本の政策に変化がない限り、もはや話を進める余地がないので、必要に応じ、グルー駐日アメリカ大使に取次がせることも考慮してほしい、と述べています。
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