昭和16年(1941年)8月7日
豊田外務大臣、野村大使に対し、日米首脳会談提議督促を訓令
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資料1:B02030716100 2 昭和16年8月5日から昭和16年8月7日(7〜9画像)
「昭和16年8月7日 豊田大臣発在米野村大使宛電報第四五二号(機械館長符号)
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資料2:B02030716200 3 昭和16年8月7日から昭和16年8月8日(1画像左〜2画像)
「昭和16年8月7日豊田大臣発野村大使宛公電第四五六号(機械館長符号)」
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昭和16年(1941年)8月7日、豊田外務大臣は、野村駐アメリカ大使に対し、日米首脳会談を提議するように訓令しています。
資料1は、その訓令の電報です。野村大使はアメリカ側が日本の仏領インドシナ進駐に関して深く失望していることを伝えていましたが、日本政府は日米の首脳会談の実施によって、関係を打開することを期待していました。訓令では、近衛総理自らホノルルへ出向いて、ルーズヴェルト大統領と「親シク会談致シ度キ」ことと、「太平洋平和保持ノ為ニスル真摯ナル希望ニ基クモノ」であることをアメリカ側に強調するように、と述べられています。また、この会談の件については、「極秘」とし、ルーズヴェルトとハル米国務長官に申し入れ、ルーズヴェルトに異存がなければ「速ヤカニ公表スルコト適当ナリ」と述べています。
資料2は、豊田が重ねて日米首脳会談を提議し、至急返事をするように訓令しています。
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