日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)8月5日
豊田外務大臣、野村大使に対し、ルーズヴェルト米大統領の仏領インドシナ中立化申し入れに対する日本側回答提示を訓令
資料1:B02030716100 2 昭和16年8月5日から昭和16年8月7日(1画像〜3画像)
「昭和16年8月5日豊田大臣発野村大使宛公電第四四七号(写)」
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資料2:B02030726200 18 我方提案ニ関スル訓令ノ件(八月五日)(5画像〜8画像)
「昭和16年8月5日豊田大臣発野村大使宛電報写」
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 昭和16年(1941年)8月5日、豊田外務大臣は野村駐アメリカ大使に対し、ルーズヴェルト米大統領の仏領インドシナ中立化申し入れに対する日本側回答提示を訓令しました。
 資料1は、豊田から野村に宛てられた訓令電報の写しです。これによれば、豊田は野村に対し、この回答が十二分に考慮を加え慎重熟慮した結果得られたものであることを野村自身が銘記し、その旨をルーズヴェルトやハル米国務長官などに強く印象づけ、この事柄の重要性に対する注意をひきつけるよう指示しています。また、この提案が仏領インドシナ進駐によって停滞してしまった日米交渉を続行するきっかけになることが日本側の意図であるとしています。
 資料2は、8月5日の豊田発公電第四四八号として送付された日本側回答全文の写しです。まず冒頭に口頭による説明条項として、仏領インドシナ進駐に対する日本政府見解を示しています。これによれば、日本政府の主張は、この進駐が平和的かつ自衛的措置であり、イギリス・アメリカ・蘭領東インドなどの対日政策が惹起した日本国内における対外強硬論の爆発を抑えるためであり、延いては太平洋の平和破綻を防止するためにも必要な措置だったというところにありました。提案の概要は、以下の通りです。

 (1)日本政府は以下を確約する

  イ、日本軍は南西太平洋地域において仏領インドシナ以外の地に進駐しないこと、
    仏領インドシナの日本軍は日中戦争が解決した後直ちに撤退すること
  ロ、フィリピンに対しては適当な時期に中立を保障すること、
    ただし日本政府及び国民はアメリカを含む一切の国と同等の待遇を受けること
  ハ、東アジアにおける日米両国間の経済的不安の原因を除去するために
    日本はアメリカの必要とする天然資源の生産及び獲得に協力すること

 (2)アメリカ政府は以下を確約する

  イ、日本の海外物資輸送に対する脅威になるような
    南西太平洋地域における軍事行動を中止すること、
    協定成立の際にはイギリス及び蘭領東インド政府に対して同様の措置を行なうよう勧めること
  ロ、南西太平洋地域特に蘭領東インドにおいて日本が必要とする天然資源の生産及び獲得、
    日本・蘭領東インド間の懸案解決に協力すること
  ハ、日本とアメリカは以前の正常な通商関係回復のために必要な措置を速やかに採ること
  ニ、日中戦争解決のために日本政府と重慶国民政府との間の橋渡しをすること、
    日本軍の仏領インドシナ撤兵後も日本の特殊地位を容認すること

 なお、この電報の末尾には、公表の方法について、あらかじめ日米両国の合意で時期・内容・形式を決めることという但し書きがあります。
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