日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)7月21日
第40回大本営政府連絡会議(議題:第三次近衛内閣初顔合わせ)
資料1:七月二十一日第三十回連絡会議 近衛第三次内閣成立ニ伴フ初顔合ノ件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)176画像左〜180   画像右)
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資料2:新内閣トノ初連絡会議ニ於テ統帥部ヨリノ要望事項(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)183画像〜184画像)
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資料3:「昭和16年7月21日」(『機密戦争日誌 其の三』96画像〜97画像右)
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 昭和16年(1941年)7月21日、大本営政府連絡会議が開催されました。大本営と政府の間の協議は、前年の昭和15年(1940年)11月28日以来大本営政府連絡懇談会という形で行われていましたが、第三次近衛内閣成立を機に大本営政府連絡会議として行われることとなり、開催場所も従来の首相官邸から宮中大本営へと変更されました。(この変遷については、参考資料室のトピックス「大本営政府連絡会議・大本営政府連絡懇談会」をご参照ください)。
 資料1は、この連絡会議の会議録です。この会議ではまず杉山参謀総長から、大本営陸軍部、海軍部からの要望が提示され、東条陸軍大臣、豊田外務大臣がこれに応じて発言しています。また杉山参謀総長からは引き続いて仏領インドシナ(仏印)進駐について現在までの経緯、今後の予定などの説明が行なわれています。その後は及川海軍大臣から南方に派遣すべき艦隊の兵力について、永野軍令部総長から対米戦争を行なう場合の見通しについての発言があったほか、豊田外務大臣から仏印進駐に関するヴィシー政権との交渉の状況について説明が行なわれています。また会議の最後には、今後の大本営政府連絡会議と大本営政府間の情報交換の実施に関して、日時や場所、出席者などが定められています。なお資料では今回の連絡会議について「第三十回」という表記になっていますが、この前後の会議がそれぞれ「第三十九回」、「第四十一回」と記されていることをふまえて、この解説では今回の連絡会議を第40回の会議として扱いました。
 資料2は、会議の中で杉山参謀総長から提示された大本営陸軍部、海軍部からの要望事項です。
 資料3は、『機密戦争日誌』で、この会議に関する記述があります。この中では大本営陸軍部、海軍部からの要望に応じる形で発言し、既定国策不変を強調した東条陸軍大臣について、「其ノ心情不可解ナリ」、「東条陸相近衛ノ歓心ヲ買フニ営々タルヤ 心外ノ至リナリ」といった批判が記されています。
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