日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)7月10日
第38回大本営政府連絡会議(議題:日米国交調整、6月21日付ハル国務長官の回答に関する外務省側の意見)
資料1:七月十日第三十八回連絡懇談会 日米国交調整特ニ六月二十一日付「ハル」長官ノ回答ニ関スル外務省側ノ意見開陳ノ件(『大本営政府連絡会議議事録 其の一』(杉山メモ)164画像〜170画像右)
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資料2:B02030715400 12 昭和16年5月12日から昭和16年7月10日(88画像〜90画像)
「日米交渉に関する件 昭和十六年七月十日 松岡外務大臣」
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 昭和16年(1941年)7月10日、第38回大本営政府連絡会議が開催されました。
 資料1の会議録によれば、この会議では、6月22日(米時間21日)にハル米国務長官より手交された案(6月1日(米時間5月31日)手交のアメリカ政府案の訂正案)についての外務省の見解が説明されました。まず松岡外務大臣が同案の内容について難色を示し、続いて、国際法の専門家である斉藤良衛外務省顧問が、12の点について指摘を行なっています。松岡大臣はさらに、同案に添えられたハルの「オーラル・ステートメント」について「乱暴千万テ帝国カ対当ナル外交ヲ行フ様ニナツテ以来未タ嘗テナイコトテアル」と強い反感を示し、これを取り次いだ野村駐アメリカ大使に対しても疑問を示しています。これ以外にも松岡は、同案における、三国同盟をはじめとする諸々の問題の扱いについて様々な指摘を行なっていますが、日本と中国(重慶国民政府)との間の問題にアメリカやイギリスがかかわることに懸念を示す中では、日本国民の中にも、日清戦争や日露戦争の際の講和をめぐってアメリカなどの助力を得たことを例に、今回も第三国の仲介によって問題を解決すべきだとする考えがあることについて不快感を表しています。そして、結論として「自分ハ「ハル」案ヲ受ケ容レルコトハ出来ナイ」と述べています。
 また、松岡大臣の「オーラル・ステートメント」に対する見解をまとめた文書も出されています(資料2)。なお、今回の連絡会議の有無とその内容については『杉山メモ』の記述のみに依拠しています。
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