日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月26日
第33回大本営政府連絡懇談会(議題:帝国国策要綱)
資料1:六月二十六日第三十三回連絡懇談会 国策要綱、対独通告文等ニ関スル件(『大本営政府連絡会議議事録 其の一』(杉山メモ)136画像左〜140画像右)
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資料2:昭和16年6月26日(『機密戦争日誌 其三』67画像左〜68画像右)
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 昭和16年(1941年)6月26日、午前10時より、第33回大本営政府連絡懇談会が開催され、ドイツ・ソ連戦を受けて、日本がこの後どのような国策を進めてゆくべきか議論が交わされました。
 資料1の会議録によれば、陸海軍の作成による国策要綱案の検討が行なわれたことがわかります。塚田攻参謀次長が本文を読み上げ、続いて杉山参謀総長がその説明を行ないましたが、これに対し松岡外務大臣が、南方(東南アジア)に向けた政策と北方(ソ連)に向けた政策との間の優先順位の有無について質問をしています。以降、松岡大臣は徹底して北方政策(ソ連攻撃)の優先を主張してゆくようになります。
 資料2の『機密戦争日誌』における記述でも、松岡大臣がドイツと策応する(すなわちソ連を攻撃する)べきであることを強調し、陸海軍の案とは根本的に意見が食い違っていると述べられています。結果、この国策をめぐる議論は次回以降も続行されることになりました。
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