日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月16日
第31回大本営政府連絡懇談会(議題:南方政策促進ニ関スル件)
資料1:六月十六日第三十一回連絡懇談会 南方施策促進ニ関スル件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)128画像左〜132画像右)
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資料2:「昭和16年6月16日」(『機密戦争日誌 其の三』59画像)
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 昭和16年(1941年)6月16日、第31回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。この会議では前回の連絡懇談会に引き続き、松岡外務大臣から仏領インドシナ(仏印)への進駐について難色が示され、この点をめぐって議論がおこなわれています。松岡外務大臣は、進駐を強行した場合には仏印と結んだ条約、協定などが廃棄となりその影響が蘭領東インド、タイなどにも及んでゴム、スズ、米等の物資の輸入が困難になる可能性があることや、独ソ開戦も迫っておりその場合にはソ連とイギリスが同盟を結びアメリカがイギリス側に立って参戦する可能性があることなどを指摘し、進駐に難色を示しています。松岡外務大臣はさらに、武力による仏印進駐は、国際的に不信行為であり、外務大臣として率直にいえば「陛下ニ之レハ不信ナリト申シ上ゲザルヲ得ズ」と発言しています。その後この件の上奏(天皇への報告)をめぐって意見が交換され、最終的には2、3日再考することとして散会しています。
 資料2の『機密戦争日誌』にもこの会議に関する記述があります。ここでは、会議に臨むにあたって、「南方施策促進ニ関スル件」の修正案が陸軍で用意された際の様子が述べられています。また松岡外務大臣が「国際不信」を理由に異議を唱えたことについては、「モミニモンデ一週間遂に南仏進駐モゴ破産ニナル 何ノ事ゾヤ」「松岡モヨキ時ハヨク偉イ時ハ偉イガ悪イ時ハ悪シ困ツタモノナリ」との感想が記されています。
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