日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)5月22日
第25回大本営政府連絡懇談会(議題:蘭領インドシナ交渉、対米国交調整その後の状況、国民政府承認)
資料1:五月二十二日第二十五回連絡懇談会 蘭印交渉、国民政府承認、対米国交調整其後ノ状況ノ件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)111画像〜118画像右)
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資料2:「昭和16年5月22日」(『機密戦争日誌 其の三』 32画像)
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 昭和16年(1941年)5月22日、第25回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。この会議では、まず松岡外務大臣が蘭領東インド(蘭印)との経済交渉について説明し、それについて議論がおこなわれています。松岡外務大臣は、この分ではイギリス、アメリカと「経済戦」に入らざるを得ないと思われるとした上で、両国の支持を背景に蘭印がスズ、ゴムの対日禁輸の決心をするのではないかとも考えられる状況をふまえ、イギリス大使にこのような状態では日本は「南方ニ兵力ヲ行使セザルヲ得ヌ」ということを伝えるつもりであり、それでも反省がなければ芳沢謙吉使節を帰国させ他の処置をとる必要があると述べ、蘭印との交渉打ち切り、芳沢使節の帰国の時期については、自分に一任されたい、と発言しています。これに対して「某」と表記された人物は、蘭印の背後にイギリス、アメリカが存在する状況の中で蘭印に対し「最後ノ決意」をすることは、フィリピン、マレーにも作戦を進めることで、「国家ノ浮沈ニ関スル重大問題」であると述べています。また杉山参謀総長も「之ハ重大問題ナリ」とした上で、マレーに作戦をすすめるにしてもタイ、仏印に「作戦準備」がなければならないが、これを外務大臣として行なわないのは何故か、と問うています。これに対して松岡外務大臣は、タイ、仏印に「作戦準備」を行なうためには、「英米ニ対する決心」が必要である、と述べています。またこのやり取りの最後には、及川海軍大臣から松岡外務大臣の人格に対する批判があったことが記されています。会議では引き続いて松岡外務大臣から、ドイツ、イタリアの南京国民政府(汪兆銘政権)承認について説明がおこなわれています。さらにその後には、日米交渉に関する大島駐ドイツ大使のリッベントロップ外務大臣との会談の状況、同じく野村駐アメリカ大使のハル国務長官との会談の状況が報告されています。
 資料2は、資料2の『機密戦争日誌』にも、この連絡懇談会に関する記述があります。この中では今回の連絡懇談会が「例ニ依ツテ外相ノ独舞台ナルガ如シ」と表現されています。さらに、会議における松岡外務大臣の一連の言動に対する疑問が示されています。
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