昭和16年(1941年)5月15日
第24回大本営政府連絡懇談会(議題:対米国交調整その後の状況)
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資料1:五月十五日第二十四回連絡懇談会 対米国交調整其後ノ状況ノ件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)108画像〜110画像)
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資料2:「昭和16年5月15日」(『機密戦争日誌 其の三』28画像左〜29画像右) |
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昭和16年(1941年)5月15日、第24回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
資料1は、この連絡懇談会の会議録です。この会議では、松岡外務大臣が前回5月12日の連絡懇談会以降の対米国交調整の状況について説明をおこなっています。この中でまず松岡外務大臣は、対米国交調整に関する問い合わせに対するドイツのリッベントロップ外務大臣からの返事の要点を説明しています。これによれば、「日米諒解案」は三国同盟に大きく影響を与えるものであるから、日本がアメリカに「最後的返事」を行なう前にドイツ、イタリアにも両国にも伝えるようリッベントロップ外相から要望が出されているのがわかります。続いて松岡外務大臣は、「今ノ自分ノ心持ヲハツキリト「ハル」ニ伝ヘテモライ度イ」という見地から、野村駐アメリカ大使に対してハルへのメッセージを電報した、と述べています。(この電報については「5月13日松岡外務大臣、野村大使に対し、ハル米国務長官に覚書を手交するよう訓令」をご参照ください。)さらに松岡外務大臣は、ドイツ、イタリアの返事を待たずにアメリカとの交渉に乗り出したことがドイツの対英単独講和や対「ソ」開戦につながるとも考えられるが、上記のドイツの返事と日本の修正案に齟齬がないことをドイツ、イタリアに通じておいたから、ドイツはこのようなことはしないと思う、と述べています。
資料2の『機密戦争日誌』にも、この連絡懇談会に関する記述があります。この中では「日米諒解案」に関するドイツ側からの返事について、「概ネ同意シアルガ如キモ芳シカラズ」と整理しています。
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