日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)5月13日 野村大使、本国に対し、松岡外務大臣の覚書手交を見合わせるよう意見具申
資料1: B02030715100 9 昭和16年5月15日から昭和16年5月19日(8画像右)
「昭和16年5月13日在米野村大使発松岡大臣宛公電第三〇四号(外機密、館長符号、大至急)(写)」
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資料2: B02030715000 8 昭和16年5月13日から昭和16年5月14日(20画像左)
「昭和16年5月13日在米野村大使発松岡大臣宛公電第三〇五号(外機密、館長符号、大臣親展)(写)」
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 昭和16年(1941年)5月12日午前(米時間11日20時)、野村駐アメリカ大使はハル米国務長官に「日米諒解案」への日本側の対案を手交しました。松岡外務大臣は昭和16年(1941年)5月13日午後にアメリカが欧州の戦争に参戦するべきではないことと、蒋介石政権に和平勧告をすべきことに同意することを交渉の前提にすると強調する覚書を送り、野村大使に対しハル国務長官に手交するよう指示しました。
 資料1はこうした松岡の訓令に対し、野村が意見を具申した電報です。そのなかで野村は日本側の対案を提出したばかりで、回答を待っている段階なので、覚書を提出することは交渉を困難にさせる、と意見を述べています。
さらに、松岡外務大臣は13日午後に対案の修正案を送りました。
 資料2は野村大使の松岡の電報に対する返事です。野村はこの中で、すでにアメリカ側に対案を渡して説明も終わっているので、修正を申し入れることは、自分の威信を失墜させると意見を述べ、松岡の指示は交渉をうまくいかないようにするので、細部については自分に一任してほしいと希望しています。
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