日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)5月8日
第22回大本営政府連絡懇談会(議題:対米国交調整その後の状況)
資料1:五月八日第二十二回連絡懇談会 対米国交調整其後ノ状況ト之ニ対スル意見交換ノ件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)101画像左〜104画像)
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資料2:「昭和16年5月8日」(『機密戦争日誌 其の三』16画像
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 昭和16年(1941年)5月8日、第22回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。この会議では松岡外務大臣から前回5月3日の連絡懇談会以降の対米国交調整に関する情勢について説明がなされています。この中で松岡外務大臣はまず「日米諒解案」について、アメリカ側の反応やドイツ側の意見をふまえて同案をさらに修正すべきかどうか審議したいという意見を述べています。またその後の意見交換の中ではアメリカの参戦可能性について、自らの見通しを述べています。
 資料2の『機密戦争日誌』にも、この連絡懇談会に関する記述があります。この中では松岡外務大臣の「真意」は、要するにアメリカを第二次世界大戦に参戦させないことにあるとして、「日米諒解案」は「第二義的ナリ」と評価されています。その上で、さらに強気に参戦阻止に出ることが必要であり、参戦阻止に役立つような諒解案たることが必要である、との見解が示されています。またここでは「軍ハ武力戦ヲ考フ外相ハ大キク外交ヲ考フ若干ノ食ヒ違ヒアリ」との指摘もされています。また松岡外務大臣は、アメリカが参戦した場合には、世界文明は破壊され戦争は長期戦となり、10年もすればドイツはソ連をうち更にアジアに進出するだろうと述べ、その場合の「帝国ノ態度如何」と発言しています。こうした会議における松岡外務大臣の動向について、この資料では「外相独舞台ノ感アリ」と描写されています。
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