日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)5月7日
野村大使・ハル国務長官会談、野村は松岡外務大臣のオーラル・ステートメントを朗読
資料1: B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(28画像左〜29画像)
「昭和16年5月7日松岡大臣発野村大使宛公電第一九七号(大至急、館長符号)」
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資料2: B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(31画像〜32画像)
「昭和16年5月7日野村大使発松岡大臣宛公電第二七三号(館長符号扱)(写)」
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 昭和16年(1941年)5月7日、野村駐アメリカ大使は松岡外務大臣の催促を受け、ハル米国務長官に対し、「日米諒解案」に先立つ松岡外務大臣の日米中立条約の申し入れと日独伊の三国同盟を強調した「オーラル・ステートメント」の朗読を行ないました。
 資料1は、松岡が野村に対し、ハルの「オーラル・ステートメント」に対する反応を急ぎ報告するように訓令した電報です。
 資料2は、野村による「オーラル・ステートメント」を朗読した会談についての報告です。ハルはこの会談で、アメリカは日本の速やかな対応を必要としていることを強調し、日米交渉の開始を督促しました。また、松岡の指示に従って野村の「即席ノ思イツキ」として提案された日米中立条約については、野村が政府の訓令に接していないという理由で、ハルは言及する必要はないととらえており、触れる考えはなく、野村も中立条約の締結は不可能とみています。さらに、ハルは「日米諒解案」について両国で修正の必要があると語り、野村ももはや「腹ノサクリ合ヒ」をしている時期ではないので、「日米諒解案」をたたき台に交渉を開始するように、松岡に訓令を求めています。
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