日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)4月22日
第20回大本営政府連絡懇談会(議題:松岡外務大臣帰朝報告、対米国交調整)
資料1:四月二十二日第二十回連絡懇談会 松岡外相帰朝報告並対米国交調整ノ件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)91画像左〜96画像)
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資料2:「昭和16年4月23日」(『機密戦争日誌 其の三』10画像)
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 昭和16年(1941年)4月22日、第20回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。松岡外務大臣が帰国したその日の夜に行われたこの会議では、まず松岡外務大臣がドイツ、イタリア、ソ連訪問をふまえ、モスクワでのアメリカの駐ソ大使との会談、ドイツ、イタリアの首脳部との会談、そして日ソ中立条約締結について説明をおこなっています。さらに引き続き松岡外務大臣は、野村駐アメリカ大使から提案されていた「日米諒解案」に基づく対米国交調整について、この問題は日中戦争処理以外にも相当重大な事が含まれているので、「二週間カ一ヶ月カ二ヶ月位」慎重に考えなければならない、と意見を述べています。
 資料2の『機密戦争日誌』にもこの会議に関する記述があります。この中では松岡外務大臣が「野村提案ハ話ガ違フ」と述べた旨が記されています。
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