昭和16年(1941年)4月14日
野村大使・ハル米国務長官会談 |
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資料1:B02030714400 2 昭和16年3月15日から昭和16年4月15日(9画像〜10画像)
「昭和16年4月14日野村大使発近衛外務大臣宛公電第二二七号(機密、館長符号扱、至急)」
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昭和16年(1941年)4月14日、野村駐アメリカ大使はハル米国務長官の私邸に招かれ、両者の会談が行なわれました。
資料1は、野村大使より近衛外務大臣に宛てた、この会談についての報告です。これによると、この時の会談は、日米両国が「太平洋ノ平和維持」を一致して求めるためには大局的な視野に立ってすみやかに行動を開始すべきだ、という野村の主張にハルが同調したことに始まっています。野村は、両国の軍事行動が双方の開戦に向けた気運を助長していることを訴え、さらに「オ互ニ何トカ工夫ヲ凝ラシ両国ノ戦争ニ向フ進路ヲ平和ニ向フ進路ニ多少ニテモ変換セサルヘカラス」と呼びかけたところ、ハルがこれに同意を示したとしています。しかし、アメリカの太平洋・大西洋上での行動に対する日本側の懸念に対しては、じゅうぶんな回答が得られなかったとも記されています。続いて、中国における軍事政策をめぐる日本の方針を野村が主張し、ここからヨーロッパ戦線を含め多岐にわたる問題にも話題が広がるなど、この会談は、以降の日米両国の関係改善に向けた対話の出発点として、さまざまな状況を互いに確認し合うという位置づけにあったことがうかがえます。最後に、野村が日ソ中立条約について説明し、太平洋の平和がヨーロッパにおける平和再建の第一歩になると述べたところ、ハルもこれに同意を示した、として報告は締めくくられています。 |
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