日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)4月10日
第17回大本営政府連絡懇談会(議題:ユーゴを中心とするバルカン情勢、日ソ中立条約の締結)
資料1:四月十日第十七回連絡懇談会 「ユーゴー」ヲ中心トスル「バルカン」情勢ニ関スル情報交換並在「ソ」松岡外相ヨリノ来電ニ基ク日「ソ」中立条約締結ニ関スル件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)83画像左~85画像右)
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資料2:別紙一 松岡外相ヨリノ電文(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)85画像左~86画像右)
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資料3:B02030714400 2 昭和16年3月15日から昭和16年4月15日(5画像~7画像)「昭和16年4月9日建川大使発近衛外務大臣宛公電第四二二号」
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資料4:B02030714400 2 昭和16年3月15日から昭和16年4月15日(8画像左) 「昭和16年4月9日建川大使発近衛外務大臣宛公電第四二七号」
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 昭和16年(1941年)4月10日、第17回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。この会議では、冒頭で杉山参謀総長からドイツが侵攻したユーゴスラヴィアの戦況について、永野軍令部総長から地中海でのイギリスとイタリアの海戦について説明が行なわれました。続いて訪欧中の松岡外務大臣に代わり出席していた大橋忠一外務次官から、松岡外務大臣がモスクワ滞在中に行なった駐ソアメリカ大使スタインハートとの会談の要旨が説明されました。会談の中で松岡外務大臣が、アメリカのルーズヴェルト大統領は「世界平和ノ為蒋介石ニ戦争ヲヤメル様慫慂セサルヤ」と質したのに対し、スタインハート大使は、その件については一度意見を具申したが「モウ一度電報スベシ」と応じた、とされています。この会談をうけ松岡外務大臣は、モスクワ滞在中にもルーズヴェルト大統領から「好イ返事アルカモ知レス」と考えていましたが、会談の要旨を報告した大橋次官は、「外相ハ楽観シアリ」とのコメントを付しています。大橋次官からはさらに引き続いて日ソ中立条約に関する松岡外務大臣とソ連のモロトフ外務大臣との会談について説明がおこなわれました。
 資料2は、この説明の際に参照された松岡外務大臣からの電文です。会議の中では、この日ソ中立条約について日独伊三国同盟との関係や日中戦争解決への効果が審議された上で、松岡外務大臣に「帝国ノ意志」を伝えることに決定されています。
 資料3は、4月9日付でモスクワの松岡外務大臣から送られた公電です。この中では連絡懇談会で大橋次官から説明がおこなわれた駐ソアメリカ大使スタインハートとの会談の内容が、松岡外務大臣から伝達されています。
 資料4も同じく4月9日付の松岡外務大臣からの公電です。上記の連絡懇談会でも紹介されているこの公電において松岡外務大臣は、場合によってはモスクワで中立条約に署名する運びになるかもしれないので、全権委任状が必要となった場合には遅滞なく発行できるように至急手配してもらいたい、と述べています。
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