昭和16年(1941年)3月15日
野村大使・ルーズヴェルト米大統領第2回会談 |
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資料1:B02030714300 1 昭和16年2月15日から昭和16年3月15日(15画像〜21画像)
「昭和16年3月15日野村大使発近衛外務大臣宛公電第一四五号(極秘、館長符号扱)」
「昭和16年3月15日野村大使発近衛外務大臣宛公電第一四六号ノ一(極秘、館長符号扱)」
「昭和16年3月15日野村大使発近衛外務大臣宛公電第一四六号ノ二(極秘、館長符号扱)」
「昭和16年3月15日野村大使発近衛外務大臣宛公電第一四六号ノ三(極秘、館長符号扱)」
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資料2:B02030714400 2 昭和16年3月15日から昭和16年4月15日(1画像〜2画像)
「昭和16年3月15日野村大使発近衛外務大臣宛公電第一四六号ノ四(極秘、館長符号扱)」
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昭和16年(1941年)3月15日(米時間14日)、野村駐アメリカ大使とルーズヴェルト米大統領との第2回目の会談が開催されました。
資料1と資料2は、野村大使から近衛外務大臣に宛てたこの会談についての一連の報告です。これによれば、このときルーズヴェルトは近日中に静養旅行に出る予定であったので、ハル米国務長官の取り計らいにより、極秘の会談を行なったということです。この会談では、まず野村から、アメリカによる重慶国民政府への援助に対する日本側の懸念が表明され、これに対しルーズヴェルトからは、日独伊三国同盟締結を「油断ナラサルモノ」と見なす姿勢と、ドイツと結びついた日本のさらなる南進への警戒が示されています。このように会談は、第一に日米間での開戦を回避する方向性を模索するべく、双方の意見を交換するかたちで進んでいますが、この時点で、日米開戦に至った場合について、あるいはこれにアメリカが勝利した場合について、また、ドイツがこのまま勝利した場合についてなど、日米関係を中心に、国際情勢をめぐってかなり具体的な展望が示されていることがわかります。
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