国立公文書館 アジア歴史資料センター

 アジア歴史資料センター公開資料には、太平洋戦争の経緯に関する様々な資料も含まれています。この特集ページでは、8月15日の終戦記念日にちなんで、終戦に関するものを中心に、太平洋戦争にまつわる資料をいくつかのテーマに沿って紹介します。

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 昭和16年(1941年)12月8日、日本軍はマレー半島に上陸、続いてハワイの真珠湾への攻撃を開始しました。同じ日、アメリカ、イギリスへの宣戦の詔勅が発表され、ここに太平洋戦争(「大東亜戦争」)の火蓋が切られました。ここでは、この日米開戦に関わる資料を紹介します。
 日米開戦の経緯については、インターネット特別展「公文書に見る日米交渉」もあわせてご覧下さい。

・ 「ハル・ノート」

レファレンスコード:B02030723400

2 昭和16年11月27日から昭和16年11月28日(1画像〜3画像)

「ハル・ノート」(外務省外交史料館所蔵)

インターネット特別展「公文書に見る日米交渉」より

 昭和16年(1941年)11月26日(アメリカ時間)に、ハル米国務長官が野村吉三郎駐アメリカ大使・来栖三郎特命大使に対して手交した文書です。 日本側は、「支那及全仏印」よりの日本軍の全面撤兵などを含むアメリカ側の要求を記したこの文書を事実上の最後通牒と受け取り、対米開戦決定へと踏み出しました。

・ 「対米覚書」

レファレンスコード:B02030748300

日米交渉 下巻(其ノ二)3(33画像〜49画像)

「日米交渉 下巻(其ノ二)3」(外務省外交史料館所蔵)

インターネット特別展「公文書に見る日米交渉」より

 昭和16年(1941年)12月8日4時20分(アメリカ時間:12月7日14時20分)、野村駐アメリカ大使・来栖特命大使がハル米国務長官に対して手交した文書です。 「対米覚書」と題するこの文書は、日本側の事実上の最後通牒であり、これによって両国間の開戦が必至であることが示されました。

・ 「宣戦の詔書」

レファレンスコード:A03022539800

御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件

「大東亜戦争宣戦詔書草稿綴」(防衛省防衛研究所所蔵)

インターネット特別展「公文書に見る日米交渉」より

 昭和16年(1941年)12月8日に発表されたアメリカとイギリスに対する宣戦の詔書です。
 下段は、この詔書の草稿綴で、詔書案の第二案から第六案までが収録されています。

 内閣情報部(のち内閣情報局)により昭和13年(1938年)2月から昭和20年(1945年)7月まで刊行されていた週刊のグラフ雑誌『写真週報』には、当時の世相が垣間見える様々な写真記事が掲載されています。ここではその中から太平洋戦争中の人々の生活に関する記事を紹介します。
 『写真週報』と当時の世相については、インターネット特別展「『写真週報』にみる昭和の世相」もあわせてご覧下さい。

・ 衣服に関する『写真週報』記事

レファレンスコード:A06031087400

写真週報279号

 昭和18年(1943年)7月7日付の『写真週報』279号です。9画像目から10画像目の「決戦衣服はこれだ」という記事では、戦時下の服装簡素化の例が紹介されています。

・ 食生活に関する『写真週報』記事

レファレンスコード:A06031087200

写真週報 277号

 昭和18年(1943年)6月23日付の『写真週報』277号です。6画像目の「電車通にも畑を」という記事では、戦時下の物資不足に伴い食糧増産が急務となる中で、首都東京でも道路が畑にかえられている様子がみてとれます。

・ 戦局の推移と『写真週報』表紙の変調

レファレンスコード:A06031079400

写真週報 199号

レファレンスコード:A06031088900

写真週報 294号

レファレンスコード:A06031092300

写真週報 328号

 上段は、太平洋戦争開戦をつたえる最初の号となった昭和16年(1941年)12月17日付の『写真週報』199号の表紙です。ここには「一億、今ぞ 敵は米英だ!」という標語が付されています。
 中段は、昭和18年(1943年)10月20日付の『写真週報』294号の表紙です。ここでは、戦局の悪化に伴い同年10月1日付で公布された「在学徴集延期臨時特例」による学生の徴兵猶予措置のほぼ全面的な撤廃をふまえ、軍事教練に参加する学生の写真が用いられています。
 下段は、昭和19年(1944年)7月5日付の『写真週報』328号の表紙です。この号では同年6月15日のアメリカ軍のB29による北九州空襲をうけて、空襲への備えが訴えられており、表紙も緊迫感を帯びたものとなっています。

 昭和19年(1944年)6月19日のマリアナ沖海戦での敗北により、日本は「絶対国防圏」(日本が戦争に勝つために絶対確保すべきだと見なした重要な地域のこと)の一角を失い、以後の太平洋での戦いにおいて劣勢にたたされました。ここではこの太平洋戦争末期の戦闘の状況に関する資料を紹介します。
 なお、沖縄戦については、内閣府沖縄振興局「沖縄戦関係資料閲覧室」のホームページもあわせてご覧下さい。

・ レイテ沖海戦で初めて編成された神風特別攻撃隊

レファレンスコード:C08030037600

昭和19年10月17日〜昭和19年10月31日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)(1画像)

 昭和19年(1944年)10月24日のレイテ沖海戦での「神風隊」の動向を報告した「戦闘詳報」です。この10月に行われたレイテ沖の戦闘では、日本海軍は初めて神風特別攻撃隊を編成しました。

・ 関行男大尉に関する『写真週報』表紙・記事

レファレンスコード:A06031094100

写真週報 347号

 昭和19年(1944年)11月15日付の『写真週報』です。表紙は、昭和19年(1944年)10月のレイテ沖海戦で米海軍の空母に突入した神風特別攻撃隊の一隊敷島隊の隊長関行男大尉の肖像画です。2画像目から3画像目では、敷島隊を始めとした神風特別攻撃隊の「戦果」が報じられています。

・ 戦艦大和の図面

レファレンスコード:C08030564900

昭和19年10月17日〜昭19年10月28日 軍艦大和戦闘詳報 第3号(5)(42画像〜52画像)

 昭和19年(1944年)10月のレイテ沖海戦に参加した戦艦大和の被害状況を示す「戦闘詳報」です。

・ 沖縄戦の戦艦大和

レファレンスコード:C08030103200

昭和20年2月1日〜昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)

 昭和20年(1945年)4月、戦艦大和などと共に第二艦隊に編成され、沖縄にむけて出撃した第2水雷戦隊の「戦闘詳報」です。27画像目に、大和が魚雷による攻撃を受けた箇所を説明する図が上げられているのをはじめとして、艦隊の艦船の被害の状況が記されています。

 1945年7月26日、日本と戦争を続けるアメリカ、イギリス、中国が日本に降伏を勧告する宣言を発表しました。同年7月11日からドイツのベルリン郊外のポツダムで行なわれていた第二次大戦の戦後処理に関する会議の中で発せられたこの宣言は、ポツダム宣言と呼ばれます。昭和20年(1945年)8月14日、日本はポツダム宣言受諾を決定し、ここに太平洋戦争は終結することになります。ここでは日本がポツダム宣言の受諾に至る経緯に関する資料を紹介します。

・ ポツダム宣言

レファレンスコード:B02033037100

1.(条約集)/2.ポツダム宣言(米英華三国宣言)

 1945年7月26日にアメリカ、イギリス、中国が発表したポツダム宣言の全文です。ポツダム宣言には、同年8月8日の対日宣戦布告以降ソ連も加わります。

・ ポツダム宣言を受けての各層の反応

レファレンスコード:A06030095800

思想旬報(号外)

 昭和20年(1945年)7月29日付で内務省警保局保安課によってまとめられたポツダム宣言発表をうけての日本の国内各層の反応についての文書です。鈴木貫太郎総理大臣は、7月28日新聞記者団にたいしてポツダム宣言を「黙殺」する旨を述べましたが、7画像目から8画像目ではこの政府の「黙殺」方針に対する国内の反応などが紹介されています。

・ ソ連を通じた終戦工作

レファレンスコード:B02032978600

2.太平洋戦争終結に関しソ連仲介依頼関係(含、「ソ」国交調整関係)/8 昭和20年7月30日から昭和20年8月7日

 ポツダム宣言発表4日後の昭和20年(1945年)7月30日からソ連の対日宣戦布告2日前にあたる8月7日までの時期の、ソ連を通じた終戦工作に関する資料です。1画像目から3画像目では、ポツダム宣言発表以降の状況でのソ連への特使派遣による終戦工作に関する佐藤尚武駐ソ連大使の意見が述べられています。10画像目から11画像目では、上記の佐藤大使の意見をふまえつつも、なお特使派遣実現に期待を寄せる東郷茂徳外務大臣の見解が述べられています。

・ 大本営陸軍部のポツダム宣言及びソ連の動向認識

レファレンスコード:A03032243200

米英「ソ」三頭会談、英国選挙及「ソ」ノ対日作戦準備進捗等ニ伴フ情勢観察:米英重慶対日共同声明ニ関スル観察

「米英「ソ」三頭会談、英国選挙及「ソ」ノ対日作戦準備進捗等ニ伴フ情勢観察」/「米英重慶対日共同声明ニ関スル観察」(国立公文書館所蔵)

※上の資料の原本をカラー撮影したものです

 大本営陸軍部によってまとめられたポツダム宣言及びソ連の動向などに関する情勢分析です。 25画像目以降の昭和20年(1945年)8月10日付の「「ソ」ノ対日参戦ニ伴フ米ノ戦争指導ニ関スル観察(研究案)」という資料では、同年8月9日のソ連の対日宣戦布告をふまえ、今後東アジアにおいてアメリカが絶対に確保をはかる地域、主導権の確保をはかる地域、ソ連の優先権を認めつつも発言権確保をはかる地域、ソ連の絶対権を認める地域などが予想されています。 さらに、日本本土(北海道本州四国九州)については、「米ノ主動的地位ヲ確保シツツ」当初連合国の共同管理下に置かれ、のちに苛酷な条件を付して日本の主権が認められる、との見通しが示されています。
 また、ここでは、今後のアメリカによる日本本土侵攻の時機と規模を規定する要素の一つとして、「原子爆弾攻撃ノ効果」に言及がなされています。

・ 「終戦の詔書」

レファレンスコード:A04017702300

昭和二十年・詔書八月一四日・大東亜戦争終結ニ関スル詔書

 昭和20年(1945年)8月14日、御前会議でのポツダム宣言受諾の決定をうけて発せられた「大東亜戦争終結ニ関スル詔書」の御署名原本です。