日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月26日
ハワイ作戦機動部隊ヒトカップ湾を出撃


真珠湾をめざし北太平洋を進む日本海軍空母(昭和16年(1941年)11月18日撮影)
(毎日新聞社提供)
 昭和16年(1941年)11月26日(水)、ハワイ作戦部隊が択捉島ヒトカップ湾(当時「単冠湾」とも表記)を出撃しました。日米両国間の緊張状態が緩和に向かう兆しを見せない一方で、軍部は開戦準備を進めていましたが、この日、ついに真珠湾攻撃に向かう海軍の部隊が出発しました。しかし、最終段階での事態打開の可能性も考慮されており、その時には引き返すようにと申し渡されていました。
資料1:大海令第一号 昭和十六年十一月五日
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資料2:大海指第一号 昭和十六年十一月五日
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資料3:B02032960000 重要国策決定の経緯概説(第二次近衛内閣ヨリ開戦迄) 2(15画像〜16画像)
「昭和十六年十二月八日以前ニ日米交渉妥結ノ場合ノ武力行動打切命令」
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 大本営海軍部は、昭和16年(1941年)11月5日、連合艦隊に対し対米英蘭作戦を準備することを命令しました。同時に、連合艦隊に対し、作戦開始前の準備地点に移動することを指示、次いで11月21日、作戦待機海面に移動することを命令しました。これによって、南雲忠一中将指揮下の機動部隊は、密かに瀬戸内海より行動を起こし、11月22日には千島列島の択捉島ヒトカップ湾に集結、11月26日早朝、ハワイへ向けて出撃しました。
 資料1は、作戦準備を命令した「大海令第一号」です。
 また、資料2は、大海令に基づいて具体的な作戦を指示した、「大海指第一号」で、その別冊において、ハワイを奇襲しアメリカの艦隊を攻撃することを指示しています。
 資料3は、後に外務省によって作成された外交資料で参考として挙げられている「大海令第五号」と「大海指第五号」です。これらの命令は、上京中の軍令部総長によって、12月2日に山本五十六連合艦隊司令長官に対して口頭で行なわれたもので、開戦日として指定された12月8日以前にアメリカとの交渉が妥結した場合には、作戦を中止して引き揚げるよう指示しています。
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