日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月11日
第29回大本営政府連絡会議(議題:日蘭交渉)


「第29回連絡懇談会 日蘭交渉ニ関スル件」(1ページ)
(防衛庁防衛研究所提供)
 昭和16年(1941年)6月11日(水)、第29回大本営政府連絡会議が開かれます。アメリカによる物資の輸出禁止措置を受け、資源の豊富な蘭領東インドを確保しようと画策してきた日本の意図はかないませんでした。そこで、蘭領東インドからの日本の代表団の引き揚げが決定されます。
資料1:「昭和16年(1941年)6月11日 第29回連絡懇談会 日蘭交渉ニ関スル件」(『大本営政府連絡会議議事録 四冊中其の一』(杉山メモ)122画像〜125画像)
画像資料
 昭和16年(1941年)6月11日、第29回大本営政府連絡懇談会が開かれ、日本側代表の蘭領東インドからの引き揚げが決定されました。日本政府は、アメリカによる重要物資対日禁輸措置を受け、蘭領東インドをその供給地として確保すべく、オランダ政府および蘭領東インド当局と交渉を行なってきましたが、日本側の想定していた物資の確保は困難となり、この会議において、交渉の打ち切りと当地からの引き揚げの決定に至りました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。これによれば、この日の朝に、未だ交渉成立の可能性があるとの電報が芳澤謙吉代表からもたらされたものの、松岡外務大臣の判断により審議が行なわれ、芳澤代表の引き揚げを命じること、オランダとの間になんらの調印をも行なわないこと、交渉は決裂ではなく穏便なかたちに終わらせて以降に対話の余地を残すことなどが決定されています。ここでは、松岡大臣は当初は合意文書への調印の意図を持ってはいたが、蘭領東インド政府の姿勢に反感を持つ軍部の主張により調印が見送られたと説明されています。
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