日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)5月12日
野村大使・ハル米国務長官会談、野村は「日米諒解案」に対する日本政府修正案を手交


「昭和16年4月17日野村大使発近衛外務大臣宛公電第二三四号ノ四(至急、外機密、館長符号扱)」(1ページ)
(外務省外交史料館提供)
 昭和16年(1941年)5月12日(月)11:00より(米時間 11日 22:00より)、野村吉三郎駐アメリカ大使はハル米国務長官と会談します。「日米諒解案」は松岡洋右外務大臣の意向も含められて大幅に修正され、野村の手によってハルに渡されました。
資料1:B02030738100 3 外交資料 日米交渉記録ノ部 日米交渉資料(一) 第二次近衛内閣時代 2(1画像左〜5画像)
「十九、五月十二日日本側対案」
「二〇、五月十二日日本側対案」
画像資料
資料2:B02030714900 7 昭和16年5月11日から昭和16年5月13日(1〜5右・6右)
「昭和16年5月12日松岡大臣発野村大使宛公電第二〇四号(至急、外機密、館長符号)(原議)」
「昭和16年5月12日松岡大臣発野村大使宛公電第二〇五号(至急、外機密館長、符号)(原議)」
「昭和16年5月12日松岡大臣発野村大使宛公電第二〇六号(至急、外機密、館長符号)(写)」
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資料3:B02030714500 3 昭和16年4月17日(3〜11画像)
「昭和16年4月17日野村大使発近衛外務大臣宛公電第二三四号(至急、外機密、館長符号扱)(写)」
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資料4:B02030715400 12 昭和16年5月12日から昭和16年7月10日(6〜14画像)
「昭和16年4月17日野村大使発近衛外務大臣宛公電第二三四号(至急、外機密、館長符号扱)(写)」
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 昭和16年(1941年)5月12日、野村駐アメリカ大使は、同3日の第21回大本営政府連絡懇談会において承認された「日米諒解案」に対する日本政府修正案を松岡外務大臣より受け取り、これをハル米国務長官に手交しました。
 資料1は、修正案である「日本側対案」の日本語全文(「十九、五月十二日日本側対案」)及びその英訳(「二〇、五月十二日日本側対案」)の写しで、昭和21年(1946年)に外務省が編纂した『外交資料 日米交渉記録ノ部』に収められたものです。
 資料2は、松岡大臣より野村大使に電送されたこの修正案にまつわる一連の電報です。「二〇四号」は、これに続く「二〇五号」で修正案の本文を、「二〇六号」で修正理由の説明を、それぞれ送付することを告げる電報です。「二〇五号」は、本来は修正案の本文を送付する電報ですが、この資料では本文は失われています(内容は資料1を参照)。「二〇六号」は、この案の各条項の修正理由を説明した文書です。「二〇四号」の最後には、修正案に基づいた交渉を至急始めるようにとの指示が記されています。
 なお、この修正案の作成に際しては、4月17日の時点で野村大使から松岡大臣に宛てて電送された「諒解案」に直接手を加えて案を整えていったものと思われ、資料3や資料4に見られるこの野村電報の写しには、修正案の内容に通じる書き込みが多数施されているのがわかります。
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