日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月28日
野村・来栖両大使、ルーズヴェルト米大統領と会談
資料1:B02030723400 2 昭和16年11月27日から昭和16年11月28日(12画像左〜19画像)
「昭和16年11月27日野村大使発東郷大臣宛公電第一二〇六号(極秘、館長符号)」
画像資料
 昭和16年(1941年)11月28日(米時間27日)、野村、来栖両大使はルーズヴェルト米大統領と会談しました。
 資料1は、その会談の要旨を報告した電報です。この会談で野村は前日に手交された「ハル・ノート」について、「日本政府ヲ痛ク失望セシ」めた、と述べました。これに対し、ルーズヴェルトは、事態が現在のような状況になったのは非常に残念なことである、答えました。そして、日米会談開始以来、まず日本の南部仏領インドシナ進駐により冷水を浴びせられ、また再び冷水を浴びせられる懸念もあり、また日本の指導者から何等平和的な言説を聞くことがなかったことが、会談を困難にさせた理由である、と述べました。また、野村が、東京からは未だ訓令はないが、ルーズヴェルトの政治的手腕によって何らかの打開策を見いだすことを希望する、と述べたのに対しては、十二月三日にはワシントンに戻り再び会見したいが、それまでに局面打開の助けとなる事態の発生を希望する、と回答しました。さらに、この会談中、同席したハル米国務長官は「暫定協定」が失敗に終わったのは、日本が仏領インドシナに増兵することによって、各国の兵力を牽制し、さらに一方では日独伊三国同盟と防共協定をかかげつつ、アメリカに対して石油を求めることに対し、日本の希望に応じることを、到底アメリカ民衆に納得させることができないからである、と述べました。さらに、アメリカ側が日米問題の平和的解決を模索している最中に、日本の要人が「力ニ依ル所謂新秩序建設ヲ主張」していることは、非常に遺憾である、と繰り返し述べました。
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