日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月24日
東郷外務大臣、野村・来栖両大使に対し、「乙案」の徹底を訓令
資料1:B02030722900 17 昭和16年11月21日(27画像左〜29画像右)
「昭和16年11月24日東郷大臣発野村大使宛電報第八二一号(館長符号)」
画像資料
 昭和16年(1941年)11月24日、東郷外務大臣は、野村・来栖両大使に対し、「乙案」による日米交渉妥結にむけてアメリカ側を説得するよう、訓令を行ないました。
 資料1は、この訓令の電報です。この中で東郷外務大臣はまず、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダの諸国は日本側提案の南部仏領インドシナからの撤兵のみでは不満足と考えているようだが、この提案は「真ニハ難キヲ忍ヒテ敢テセル提案」であって、これ以上の譲歩は「絶対不可能」と強調しています。その上で、東郷外務大臣は、日本側の期待するところは、日米貿易回復や凍結令前の状態への復帰に止まるものではなく「乙案」に含まれる事項(第6項及び第7項以外)全部の実現であり(この時点での「乙案」に含まれる事項ついては、トピックス「乙案の変遷」をご参照ください)、アメリカ政府がこれを認め難いとするのは理解に苦しむ、として、あくまで「乙案」によってアメリカ側を説得するよう訓令しています。また東郷外務大臣は、日本の「乙案」をアメリカ側が「デイマンド」(要求)とすることは誤解であって、日本側は事態の切迫に鑑みひたすら急速な交渉妥結を希望しており、この点からはアメリカ側がイギリス、オーストラリア、オランダ等を誘って「集団的機構」に加えようとする傾向は警戒を要するとして、日米諒解を成立させ、他の関係国をこれに同調させることとしたい、との希望を述べています。
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