日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)8月2日
野村大使、某米閣僚と懇談、野村は仏領インドシナ進駐について説明
資料1:B02030716000 1 昭和16年8月1日から昭和16年8月5日(4画像〜5画像右)
「昭和16年8月2日野村大使発豊田外務大臣宛公電第六四九号(館長符号級)」
画像資料
 昭和16年(1941年)8月2日午前10時(米時間)、野村駐アメリカ大使はアメリカの「一閣僚」(氏名は不詳)と懇談し、日本の仏領インドシナ進駐などについて説明しました。
 資料1は、野村から豊田外務大臣に宛てられた、懇談に関する報告電報です。これによれば、野村は「一閣僚」に対し、日本の仏領インドシナ進駐はやむをえないことだが永久的性質でもないこと、近隣のイギリス領海峡植民地や蘭領東インドなどには侵入しないことを約束し、従来の方針通り物資の交流を自由にすることは一案ではないかと述べています。これに対し「一閣僚」は、日本はシベリア進駐を用意しつつあるのではないかと述べ、野村の発言に興味を示さなかったとあります。また、「一閣僚」はハル国務長官が日本の行動に対してひどく失望している様子であると伝えています。さらに、ルーズヴェルト大統領が戦争を欲していないのはご承知の通りと述べていますが、これに対して野村は、アメリカは表向き経済戦で日本の動きを抑制しようとしているが、同時に武力衝突への備えをしているとの見解を示しています。また野村は、ドイツの対ソ連戦が長引くことがアメリカにとって大いに有利な材料となると予想しています。対してこの閣僚は、ドイツ軍は人員・物資・燃料が欠乏した状況であり、東部戦線は片付いたとしても当分大規模な行動がとれないが、その間にアメリカの生産力は長足の進歩を遂げ、ますます有利になっていくとし、数年の長期戦の覚悟をしていたとあります。
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