日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)7月25日
野村大使・ルーズヴェルト米大統領第三回会談
資料1:B02030715700 15 昭和16年7月15日から昭和16年7月26日(10画像)
「Off the record conversation between Admiral Nomura and the President of the United States of-America on July 24, 1941, at the White House.」
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資料2:B02033016000 9 昭和16年8月2日から昭和16年9月26日(大東亜戦争関係一件/館長符号扱来電綴 第二巻)(4画像〜5画像)
「昭和16年7月25日野村大使発豊田外務大臣宛公電第五六七号(至急、外機密、館長符号扱)(写)」
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 昭和16年(1941年)7月25日、野村駐アメリカ大使とルーズヴェルト大統領の間で会談が行なわれました。
 資料1は、7月26日にグルー駐日アメリカ大使が豊田外務大臣に読み上げた電報の一部で、会談の内容が記されています(英文)。このなかで、ルーズヴェルトは仏領インドシンナをイギリス・オランダ・中国・日本・アメリカによって「中立化」させることを提案した、とされています。
 資料2は、野村がアメリカ政府の行なおうとしている政策について、内々に調査させた結果を本国に報告した電報です。野村はこの電報で、アメリカの有力閣僚は、日本の仏領インドシナ進駐をドイツのヨーロッパにおける作戦と呼応するものと考えており、この疑問が解けるまで、日米間の交渉は「続行無意義ナリ」と主張しているとし、自分がいかに述べても「手ノ施シ様ナキニ至リタル」と報告しています。また、対日資金凍結と石油禁輸も早晩実施されると思われると述べています。
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