日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)7月12日
第39回大本営政府連絡懇談会(議題:日米国交調整、対ソ戦争に伴う満州国取り扱い要領決定)
資料1:七月十二日第三十九回連絡懇談会 対米国交調整ニ関スル件(『大本営政府連絡会議議事録 其の一』(杉山メモ)170画像左〜176画像右)
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資料2:昭和16年7月12日(『機密戦争日誌 其三』86画像〜87画像右)
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 昭和16年(1941年)7月12日、第39回大本営政府連絡懇談会が開催され、前回に引き続いて6月22日(米時間21日)にハル米国務長官より手交された案についての議論が行なわれました。
 資料1の会議録によれば、結論としては、日本より提示した最初の案(5月12日手交の政府案か)を堅持しつつ、可能であれば修正を加えて今回のアメリカ案に対して回答する、ということに決したとされています。また、ハルの「オーラル・ステートメント」についてはこれを拒否することに決定したと述べられています。この時の議論においては、松岡外務大臣によって「オーラル・ステートメント」に対する強い反発姿勢が示されていますが、この中で松岡は、同文書の拒否とともに、アメリカとの交渉の継続は不可能であるとの見解を表明しています。また、野村駐アメリカ大使が「今ハ居ッテモ何モ出来ヌカラ」と帰国を希望していることと、これを認めなかったことも明らかにしています。このような松岡大臣の主張に対し、杉山元参謀総長や平沼騏一郎内務大臣から交渉継続を旨とする意見が述べられ、議論は以降の交渉方針についての検討に移っています。
 資料2の『機密戦争日誌』でも(1画像目中ほどより)、この会議について「N工作ヲ打切ルヘキヤ否ヤニ就キ審議」(「N工作」の「N」は野村駐アメリカ大使の頭文字から)と説明され、特に軍部の動きについて言及されています。
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