日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月30日
第36回大本営政府連絡懇談会(議題:帝国国策要綱閣議提出案、対独通告文、御前会議における外務大臣説明案)
資料1:六月三十日第三十六回連絡懇談会 国策要綱閣議提出案、対独通告文、政府声明案、御前会議ニ於ケル外相御説明案等ニ関スル件(『大本営政府連絡会議議事録 其の一』(杉山メモ)148画像左〜151画像)
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資料2:昭和16年6月30日(『機密戦争日誌 其三』72画像〜74画像)
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 昭和16年(1941年)6月30日、午後5時から午後9時にかけて、第36回大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1はその会議録です。これによれば、当初予定されていた議題は、「国策要綱閣議提出案、対独通告文、政府声明案、御前会議ニ於ケル外相御説明案等ニ関スル件」であったのが、既に決定し「上奏御裁可」(天皇に報告しその認可を受けること)を待つのみであった南方政策の中の南部仏領インドシナ進駐について、松岡外務大臣よりその延期を求める提案があったために、その論議がなされたとされています。松岡大臣の主張は、南方に向けての政策(南進)を改め、独ソ戦開始を機にドイツと協力してソ連を攻撃すべきである(北進)、というものでした。松岡大臣はここで「我輩ハ数年先ノ豫言ヲシテ適中セヌコトハナイ」などと述べており、強硬な姿勢を表していることがうかがえます。この主張には及川海軍大臣や近藤信竹軍令部次長も同意を示しましたが、しかし会議の結論としては、当初の決定内容通りの日取りによって南部仏領インドシナ進駐を実行するということに落ち着いています。この出来事については、再度の論議に時間が割かれたために重要な国策の決定が遅れ、御前会議も延期になったとして、ここでの記述では松岡大臣に対する批判的な姿勢が表れています。
 また、資料2の『機密戦争日誌』における連絡会議についての記述(2画像目中ほどより)の中でも、松岡大臣の姿勢についての批判が繰り返され、「節操ナキ発言言語道断ナリ」「国策ノ決定実行ニ大ナル支障ヲ与フルコト少カラズ」と厳しく指摘されています。
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