日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月12日
第30回大本営政府連絡懇談会(議題:南方政策促進ニ関スル件)
資料1:六月十二日第三十回連絡懇談会 南方施策促進ニ関スル件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)125画像左〜128画像右)
画像資料
資料2:「昭和16年6月12日」(『機密戦争日誌 其の三』54画像左〜55画像右)
画像資料
 昭和16年(1941年)6月12日、第30回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この大本営政府連絡懇談会の会議録です。この会議ではまず永野軍令部総長から「南方施策促進ニ関スル件」について説明がなされています。その際永野軍令部総長は、仏領インドシナ(仏印)が交渉に応じない場合やイギリス、アメリカ、オランダが妨害する場合には武力を行使することを強く強調しています。その後の議論の中では、松岡外務大臣が仏印への進駐を前提に交渉を行うことは困難であるとの認識を示し、まず空軍及び海軍の基地を作ることを第一段として交渉し、進駐は第二段として提案してはどうか、いう意見を述べています。これに対して杉山参謀総長は最初からではなく、交渉が不調の場合に軍事占領を行なうのであるとして、「最早手ヌルクヤル必要ナシ」と主張しています。その後、「某」と記された人物と松岡外務大臣の意見のやり取りなどを経て、「南方施策促進ニ関スル件」に諒解事項を付記することで全員の同意が得られています。
 資料2の『機密戦争日誌』にもこの会議に関する記述があります。ここでは上記の「南方施策促進ニ関スル件」について、「軍令部総長ノ発言強硬ナリシモ海軍大臣何等ノ発言ナシ」と述べられています。
このページを閉じる