日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)4月30日
松岡外務大臣、野村大使に対し「日米諒解案」の英文送付を要請
資料1:B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(3画像右)
「昭和16年4月30日松岡大臣発在米野村大使宛公電第一八七号(館長符号機械)(原議)」
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資料2:B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(3画像左〜11画像右)
「昭和16年4月30日野村大使発松岡外務大臣宛公電第二五五号(極秘、館長符号)」
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 昭和16(1941年)4月30日、松岡外務大臣は欧州から帰国後、「日米諒解案」を検討するために、野村駐アメリカ大使に対して、英文の「日米諒解案」を送るように求めています。
 資料1は、その訓令電報です。 この「日米諒解案」は、日米双方が何度も手を入れてつくった交渉のたたき台でした。資料2は、野村大使の松岡外務大臣に対する返事の電報で、「日米諒解案」の英文前文を送っています。
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