日露戦争(明治37年2月~明治38年9月)では、有名な「日本海海戦」をはじめ、「奉天会戦」、旅順をめぐる陸海の長い攻防戦など、歴史に名を残す様々な戦闘が繰り広げられました。その詳細を陸海軍の記録によってたどります。海軍資料からは、戦闘記録を豊富に含む「日露」「日露戦書」、日露戦後に軍令部によって編纂された「極秘 37.8年海戦史」、陸軍資料からは、満州軍の記録である「陸満機密・密・普大日記」などをご紹介します。
嘉永6年(1853年)、ペリー率いるアメリカ艦隊(黒船)が浦賀に来航し、日本は、開国そして明治維新を経て、近代国家としての歩みを進めることになりました。その道のりを、嘉永7年(1854年)の日米和親条約から昭和20年(1945年)の降伏文書(太平洋戦争終結)に至る様々な条約書(外務省外交史料館所蔵の原本をカラー撮影)と、条約や国内の重要な制度や法律に関する御署名原本によってたどります。
昭和13年(1938年)2月に内閣情報部によって創刊された『写真週報』は、昭和20年(1945年)7月まで7年以上にわたってほぼ毎週発行され、全375号(370冊)を数えたグラフ雑誌です。この雑誌に掲載された豊富な写真記事が映し出す、昭和戦前期の日本社会、人々の生活、そして戦争の様子をたどります。また、関連する様々な公文書もあわせてご紹介します。
昭和16年(1941年)12月8日未明、日本軍の真珠湾攻撃により日米開戦。ここに至るまでの日本とアメリカの交渉の過程を公文書によってたどります。交渉にあたった駐アメリカ大使・野村吉三郎と松岡洋右、豊田貞次郎、東郷茂徳ら外務大臣とのやり取りを追い、その中で交わされた、対米交渉要綱「甲案」「乙案」、そして「ハル・ノート」などの資料をご紹介します。
明治4年11月12日(1871年12月23日)、新しい国づくりの規範を欧米の国々から得ようと、右大臣・岩倉具視はじめとする明治新政府のリーダーたちの率いる使節団が横浜を出港しました。その1年10カ月に及ぶ足取りを公文書によってたどります。使節団と本国政府(留守政府)との間の往復文書や、条約改正のための準備交渉の経緯の報告書、その他使節団の様々な記録がまとめられた『大使書類』を中心にご紹介します。
明治37年(1904年)2月から18ヶ月間にわたって繰り広げられた日露戦争。その背景となる様々な出来事から戦争の経緯、そして戦後までを公文書によってたどります。「宣戦の詔書」、「日露講和条約及追加約款」(ポーツマス講和条約)批准の勅令、「講和に関する詔勅」などの資料をご紹介します。また、この戦争が当時の社会や人々の生活に及ぼした影響についての資料を、いくつかのテーマに沿ってご紹介します。
我が国は「地震大国」とも呼ばれるように、これまでに幾度となく震災に見舞われてきました。明治、大正、昭和前半期に起きた数々の震災とそこからの復興を公文書によってたどります。地震発生時の第一報、津波の被害についての報告、被害者や被害家屋の数についての調査報告、被災者の救援活動の記録、そして復興に向けた数々の財政計画や都市計画などの資料をご紹介します。
8月15日は「終戦の日」です。昭和20年(1945年)のこの日に「玉音放送」が行われ、太平洋戦争が終結しました(第二次世界大戦終戦の記念日は国や地域によって異なります)。「ポツダム宣言」、「終戦の詔書」(「玉音放送」はこれを読み上げたものです)といった終戦関連のものを中心に、「ハル・ノート」、「宣戦の詔書」、神風特別攻撃隊や戦艦大和の記録など、太平洋戦争にまつわる資料をご紹介します。












