[条約と御署名原本で見る近代日本史] アジア歴史資料センター / Japan Center for Asian Historical Records(JACAR)National Archives of Japan
解説

条約について

■条約とは
 条約の概念自体は、歴史的に発展変化していますが、さしあたり現在通用している条約について説明します。

 条約には、広義の条約と狭義の条約の2つがあると考えられます。まず、広義の条約についてですが、1969年の国連条約法会議で採択された「条約法に関するウィーン条約第2条1(a)」(1980年発効)によれば、「国の間において文書の形式により締結され、国際法によって規律される国際的な合意(単一の文書によるものであるか関連する二以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない)」とされています。
 この広義の条約の名称として、条約(treaty:狭義の条約)、協定(agreement)、議定書(protocol)、宣言(declaration)、憲章(charter)、規約(covenant)、規定(statue)、取極(arrangement)などがあります。実際には、それぞれの名称や用語、形式についての厳密な規則に基づいて使い分けられていたわけではなく、また、日本語と英語との間の対応関係も必ずしも厳密なものではありません。ちなみに、現在の慣行では、特定国間の基本関係を定める条約には'treaty'、重要な多数国間条約には'convention'、技術的・経済的事項を扱う条約には'agreement'、国際機構の設立条約などには'charter'、'covenant'が用いられる傾向があります。
 なお、19世紀に入るとヨーロッパ諸国の間では広義の条約によって国家関係を規律していくようになりました。日本は1854年3月31日にアメリカとの間で日米和親条約を締結しましたが、これにより日本は近代国際法体制へ参入することになったのです。

 次に、条約の締結過程について簡単に説明します。条約(広義)は、一般に、国家の代表者間で交渉が行なわれ、条約文を作成し、ともに署名を行なうことにより、その内容が確定します(条約の調印)。国家は、署名をした条約の内容について最終確認を行ない同意を与えること(条約の批准)により、該当する条約に規定された内容を守らなければならなくなります。そして、批准を行なった書面を交換すること(批准書の交換)により、条約は発効します。また、条約への加入(ないし加盟)とは、ある国家が条約に署名をしていない場合に、すでに発効している条約の規定を守る意思があることを正式に宣言する行為のことです。
 これらの段階を経て、批准や加入などを行なったことが国内に公布されます(条約の公布)。日本では、この公布に際して、御名(ぎょめい:天皇の署名)・御璽(ぎょじ:天皇の印)が付されています(「御署名原本とは」参照)。なお、アジア歴史資料センターでは、この文書を御署名原本として公開しています。
 このように、条約は調印から公布までさまざまな段階を経るため、条約書に記載された調印の日付、批准書の日付、御署名原本の日付はそれぞれ異なることがあります。

「条規」について
 1871年9月13日に調印された日清修好条規は、「日清修好条約」ではなく「条規」という用語を用いていますが、「条規」という用語は「条約」とは異なり、両国の地理的な近さと歴史的な往来関係の深さを反映したものであるとされています。また、1876年2月26日に調印された日朝修好条規も「条規」という用語を用いています。

 今回の特別展では、外務省外交史料館の協力により、条約書原本と条約批准書原本をカラー撮影し、公開しています。このなかには、重要文化財である、日米条約調印書(次回公開)・日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約もふくまれています。
 しかし、日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約は、日蘭修好通商条約・日露修好通商条約・日白修好通商条約・日伊修好通商条約・日丁修好通商条約とともに、幕末史編纂のため東京帝国大学史料編纂所に貸与していた際、関東大震災で被災しました。この際、日蘭修好通商条約・日露修好通商条約・日白修好通商条約・日伊修好通商条約・日丁修好通商条約の原本は焼失し、ほかのものも蒸し焼き状態となりました。蒸し焼きで残ったものが外務省に返却された後、外務省外交史料館が修復しました。
 日仏修好通商条約は羊皮紙が凝固しており、全く開くことができなかったので表紙のみの撮影となってしまいました。日米修好通商条約は、無理に開くと破損するおそれがあり、小さく開いて撮影したため、文字が読めないものとなってしまっています。これらの措置は貴重史料の保存のためですので、ご了承下さい。このように撮影に制限のあったものや焼失したものについては、『通信全覧』のそれぞれの条約の部分を撮影し、代用しています。この『通信全覧』とは、日本開国後の1859年(安政6年)と1860年(万延元年)の外交文書を徳川幕府が編集したもので、全部で320巻あります。本書は外務省外交史料館に所蔵されており、復刻版を閲覧することができます。
 なお、各条約の解説文の末尾に( )に入れて記載しているものは、外務省で管理している条約目録の表記です。

参考文献
 外務省外交史料館日本外交史編纂委員会『日本外交史辞典』(山川出版社、1992年)。
 劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識―日中対話の試み』(東京大学出版会、2006年)。
 田畑茂二郎『国際法Ⅰ〔新版〕』(有斐閣、1973年)。
 杉原高嶺・加藤信行ほか編『現代国際法講義〔第3版〕』(有斐閣、2003年)。
 H・二コルソン(斉藤眞・深谷満雄訳)『外交』(東京大学出版会、1968年)。
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